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🐴ミホノブルボンの三冠を阻む(初めは憎まれ役でした)

今でこそ、ライスシャワーの事を愛さない競馬ファンはいないと思います。しかしライスシャワーが初めて名を世間に轟かせたこの菊花賞。めちゃくちゃブーイングが飛びました。レースを見てみましょう↓

でも、今思えば「かっこいい」の一言!ミホノブルボンの敗因は様々ですが個人的にはライスシャワーが強かったという一点に尽きると思います

しかし、何と言ってもライスシャワーのベストレースを挙げるならこの次の天皇賞・春でしょう。あのメジロマックイーンが敗れる姿を想像したファンはあまり多くなかったと思います。

✨絶対王者メジロマックイーンを撃破

このレース後は、もうライスシャワーを敵視する人は少なく、むしろド本命を負かすヒーローとして絶大な人気を誇るようになります。

しかしそんな彼にも悲しい結末が待っていました。あまり思い出したくないファンも多いと思いますが、僕は競馬の厳しさもできるだけお伝えしようと意識的にどのページも書いていますので敢えてライスシャワーのラストレースを載せます。

🐴ライスシャワーの最期|宝塚記念(G1)

この頃、既にライスシャワーの実力のピークは明らかに過ぎていました。しかし彼にはこのレースを勝たねばならない理由がありました。

ライスシャワーの主な勝ち鞍は長距離レースのみであり、当時主流となり始めた「スピード重視」の競馬界で「種牡馬として」認められるにはこの宝塚で中距離のスピードもアピールしなければならなかったんです(競走馬が種牡馬を目指す意義については競馬入門コーナのコチラからご覧ください)

結末は、まさかのファンの悲鳴があがるものとなりました。レース途中ライスシャワーは故障を発生し、テレビ実況の杉本清さんが「これは大変なことになったぞ」と思わず嘆きます。

そのまま天国へとライスシャワーは旅立ちました。ライスシャワーは最期は、最初の憎まれ役とは真逆の「誰もが愛する名馬」として永遠に語り継がれます。