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若いファンの方のどれほどが「この馬」のことをご存知だろうか?よく判らないけれど、この馬の伝説を聞くことってないなぁ。

競走馬としても異例の戦績を残し、当時大きな話題になりました。そしてそれ以上に種牡馬として「真逆の意味」で大きな波紋を拡げた稀有なサラブレッドでした。

🐴ラムタラ:デビューから2戦目で英国ダービーを制す離れ業!

まずはラムタラのプロフィールを簡単にご紹介します。父はあのニジンスキー

何が話題になったかというと見出しの通りデビュー戦のすぐ次に英国ダービーを勝ってしまったんです。

日本でもフサイチコンコルドがデビュー3戦目で日本ダービーを勝ちましたが、これとはスケールがかなり異なります。

デビュー2戦目で英国ダービー制覇!

🌟ラムタラ:欧州三大競争制覇

さらに次のレースでは通称「キングジョージ」こと当時の変則三冠レースの一つを勝ってしまいます。

トドメに凱旋門賞も勝って「ミルリーフ」以来の欧州三大競争制覇を成し遂げ、4戦4勝でそのまま引退しました。

続いてキングジョージも制覇!
ラストレース凱旋門賞も制覇!史上初の無敗の欧州三大競争制覇!

ラムタラの実力については疑問を投げかけるホースマンも多くいました。

風の様にデビューしてあっという間に引退したという事もありますが、どうも色々裏側で憶測が流れる事情の方が大きかった気がします。

結局、欧州王者に与えられる「カルティエ賞」から漏れるという異例の結果でした。

本当に強いのかどうかは素人の競馬ファンには当然判らない側面があるのはもちろんです。

しかしあの名手「デットーリ」がラムタラが最強馬と認めてやまなかったんです。

デットーリ騎手も今は過去の人物になってしまいましたが、ハッキリ言って「武豊騎手(彼も天才です)とは比較にならないの世界一のカリスマ名騎手」でした。

僕らは当時この「ラムタラ·デットーリ」コンビに神々しさを感じるほどでした。

✨ラムタラが日高を救うヒーローだと信じたが··悲劇のストーリー

普通はここで海外の名馬と名騎手がいました··というお話しで終わる所です。しかしなんとあのラムタラが日本に種牡馬として来る事になったんです!

まさかの日本でのスタッドイン:ラムタラ

英国は当然、絶対に日本には渡したくありませんでした。これはあの「サンデーサイレンス」の輸入時とは正反対ですね。

実際サンデーサイレンスは当時としては破格の「約25億円」のシンジケートがくまれたのに対しラムタラは「約45億円」という凄まじいシンジケートが組まれました。

さらにもっと大事な事は、買ってきたのは「社台グループ」ではなかったという事です。

では、どこか?というと日高の生産者達が共同で購入したんです。

このあたりは異論反論ある所ですが、当時のコンセンサスは日高の生産者の大きな「悲痛の賭けと夢」でした。

サンデーサイレンス1色の馬産地で対抗できるのは奇跡の馬「ラムタラ」しかいないということだったのだと思います。

結果はどうなんだ?と皆さん当然知りたいと思いますが、今現在ラムタラが「忘れ去られている」と言うのが答えです。

強烈な程の種牡馬成績の「悪さ」に対する失望は社台の失敗例のエリシオ(凱旋門賞馬·ジャパンカップにも来ました)辺りの比ではありません。

結局ラムタラは英国が買い戻すことになります。

日本の日高が払った購入価格は3000万ドル(約33億円)だったのに対して売却価格は24万ドル(約2800万円)と100分の1未満で日高から去りました


ちなみに僕の「一口馬主」のコーナーで1頭ラムタラの産駒に出資していた事にお気づきでしょうか(笑)

しかし出資当時は、まだラムタラ産駒はデビューしてません。

だから僕も日高の方のように夢を持っていたんです。

あのラムタラの産駒、しかも母は名牝サラトガデュー(=ロードカナロアの母であるレディブラッサムの母)です。

正真正銘良血馬に出資できた事が本当に嬉しいかった··決してあれは笑いのネタではなかったんです(当時は)。

ボクの中では今でも「ラムタラ」は何か神がかった特別な存在ですが、皆さんいかがでしたか··というところでお話しを終えようと思います。

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